"ゆりかごの歌"を聴きながら

何年、何十年経ってから、何をしていたか見返すための記録

夜の大宮八幡宮(東京のへそ)

先日、杉並区にある大宮八幡宮を訪れた。

「東京のへそ」

「東京のおへそ」という意味では国分寺が発信しているが、これは東京都の重心にあることがそのように呼称しているようである。

魅力発信リーフレット「東京のおへそ こくぶんじ」|国分寺市 (city.kokubunji.tokyo.jp)

 

杉並区の大宮八幡宮も「東京のへそ」と呼ばれることがあるらしい。

これは東京の”人口”の重心であったことに起因しているらしい。

大宮八幡宮|すぎなみ学倶楽部 (suginamigaku.org)

 

「人口の重心」とは「人口の一人一人が同じ重さを持つと仮定して、その地域内の人口が、全体として平衡を保つことのできる点」らしい。

ちなみに、日本の人口重心は東経137度03分20.44秒、北緯35度34分03.64秒。岐阜県関市立武儀(むぎ)小学校(東経137度00分40.60秒、北緯35度35分08.15秒)から東南東へ約4.5kmの位置らしい。

人口の重心など知らなかったが、本当にそのような統計もあるらしい。確かに、地域サービスなどを考慮する際には、一つのメルクマールにはなりそう。

統計局ホームページ/統計トピックスNo.135 我が国の人口重心 (stat.go.jp)

夜の大宮八幡宮

日没後であったため、人通りもなく、鬱蒼とした雰囲気を感じた。

ただ、確かに23区という点では敷地面積も大きい、由緒ある感じはある(由緒は大宮八幡宮に限らず、どこもあるのだろうが)。

大宮八幡宮の歴史・由緒 - 大宮八幡宮 (ohmiya-hachimangu.or.jp)

-------------------------

第70代・後冷泉天皇の天喜年中(1053〜57)に、奥州に乱(前九年の役)が起き、この乱を鎮めよとの勅命をうけた鎮守府将軍源頼義公の軍がこの大宮の地にさしかかると、大空には白雲が八条にたなびいて、あたかも源氏の白旗がひるがえるような光景となりました。源頼義公は、「これは八幡大神の御守護のしるしである」と喜ばれ、乱を鎮めた暁には必ずこの地に神社を構えることを誓って、武運を祈り出陣されました。そして奥州を平定して凱旋のおり、誓いの通り康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てました。これが当宮の創建の縁起であります。

また、その子八幡太郎義家公も後三年の役のあと、父にならい当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられています。

かつては武蔵国三大宮の一つ「多摩の大宮」あるいは「武蔵国八幡一之宮」と称され、昭和44年に境内の北端につづく旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡や族長の住居跡が発掘され、この地は太古からの聖域であったことが判明致しております。

今や大東京の重心「東京のへそ」として、神々の記憶と数々の日本の歴史へと誘う胎内回帰の出来る神秘的な場所とされております。

-------------------------

方南町駅

大宮八幡宮から丸ノ内線 方南町駅まで足を延ばしてみた。

以前、方南町駅に訪れたのは随分前なので、駅の雰囲気が大きく変わっているように感じた。

確かに、昔は中野坂上駅止まりの「the 分岐線」だったが、2019年のダイヤ改正により、池袋方面への直通が可能となった。

時刻表を見ると日中の時間帯は直通は1時間2本程度であるが、通勤時間帯は池袋行きの電車も多くみられて、昔よりも利便性が高くなったのだなと感じた。