"ゆりかごの歌"を聴きながら

何年、何十年経ってから、何をしていたか見返すための記録

(読書記録)いつかまた、ここで暮らせたら 在宅介護奮闘記

現在進行形で続いている筆者の介護記録について記載されたもの。

いつかまた、ここで暮らせたら 在宅介護奮闘記 | 大崎 百紀 |本 | 通販 | Amazon

----------------------

90歳で認知症の父と、84歳で寝たきりの母を介護することになった著者。
両親の愛着たっぷりの家での在宅介護を目標に介護福祉士の資格まで取得したものの……。
福祉サービスをはじめ、お役立ち情報満載の介護奮闘記。

----------------------

週刊朝日で連載されていたものをまとめたもの。

そのため、章立てになっているものの、若干時系列が入れ子になっていると思われる個所もあるが、逆にきれいに整理されていない側面がある方が筆者の気持ちを筆舌に表しているように思う。

自分自身がどのように老後を過ごしたいか、ということは漠然とした思いがあるものの、当然にその時の状況や体調次第ではあろうし、完全に予測、見積もりすることは難しい。

そして、自分以外の者がどのような形で過ごしたいか、ということを考えるのは更に難しい。この本の例では両親の介護が対象であるが、介護などを仕事にしていない人でも例えば、両親、配偶者などの問題は付きまとうことが考えられる。

高齢になり、認知もあやふやになっている人について、どのようにすべきかということについて決断を下すことは大変なことは容易に想像はつくし、この本の例のように子供の立場としては様々な感情が湧きおこるだろう。

その意味で、自分自身の老後云々というより、身近な者がそういった状況になったときにどのようにするか、場面によって決断を迫られる可能性があることなど、学びや見つめ直すよいきっかけになった。簡単な言葉で片付けると、従前からよく話し合っておくこと、ということなのだろうが、状況も変わる中で、各々の考えや感情も当然に変わるだろうし難しいと感じる。

 

さて、この本に目を移すと、自宅、様々な施設などを行き来するとともに、様々な関係者とのやりとりも丁寧に記述されている。その意味では、「・・・な人はなぜ・・・な対応をしたのか」、「・・・は冷たいのではないか」という感情を持ちかねない記述も散見されるが、おそらくそれぞれの関係者の守備範囲が決められており、どうしようもならない部分もあるのだろう(と、一読者として関係ない第三者目線ではあるが)。

当然、制度的な部分で改善できるところは改善すべきだろうが、介護事業に携わっている者も負担が大きい点は想像できるところであり、個々人についてあれこれ批判をするのは正解ではないようにも感じる。

総じて介護の話であるため、読み終えて少し暗い感情を持ったが、自分自身の考えや気づきを整理するよい機会になったように思う。